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Tuesday, September 29, 2015

横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)

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 今から170年以上前、世界で初めて実用的な写真技法としてダゲレオタイプが公に発表された。しかし厳密に言えば、その作業過程の基となる銀塩の光感受性といった自然条件はそれ以前から存在する。これを考慮すると、基本的な写真の原理に言及する際に、(写真技法を)発明したという言い方が適切ではないことは明確だ。絵画における透視図法の場合とは違って、この自然の変色作用の原理は人間が作ったのではなく、その原理を発見してさらに発展させたのである。つまり、アナログ写真の本質的な条件はその技術が発見される前から存在し、これからも永遠に人間の文化という領域の外にあるのだ。もっと単純に言えば、それは自然現象であり、これからもそうあり続けるということだ。この事実こそ、写真の持つ独特な魅力の一つなのかもしれない。ナダールの著書に、オノレ・ド・バルザック(1799~1850)が写真に対して不信感を抱いていたことが記述されているのは有名だ。バルザックは写真を1枚撮られるごとに、身体を構成する薄い層が1枚剥ぎ取られて、魔法のように銀メッキをした銅版上へと移動し、その層は永遠に失われるものと考えていたのだ。写真の現像過程をさらに詳しく学んでも、バルザックの不信感が減ることはなかった。このため、彼の写真は結局1枚しか撮られなかった。写真に像を写し出すという化学反応は決して人間の目には見えないことを考えれば、バルザックが疑問を抱いたことをある意味理解できる。アナログ写真は確かに得体の知れない質を生み出す。

 今日における写真は(そして芸術写真もますます)、携帯電話、タブレット、デジタル一眼レフカメラといったデジタル端末で撮影され、公開し、消費されている。この新たな技術のおかげで、少なくとも理論的には、誰もが写真を目にすることができるようになっただけでなく、いつでも好きな時に撮影できるようになった。しかしながら、こうした技術の発達を前向きに捉える人たちもいれば、そうでない人もいる。デジタルの技法に疑問を抱く人々は、デジタル写真にはインクや紙の感触、深さが欠けていると感じることが多い。これには、写真がこれまでのようにネガフィルムや紙の上に点在する粒子で構成されるのではなく、デジタル情報を画素格子で構成するようになったという事実に起因していると言って、ほぼ間違いない。暗室などはもう要らないし、写真用紙も、感光させたネガを現像させる化学薬品も、臭い薬品を保存するための容器も、もう要らないのだ。結果的に、デジタル写真は本当に我々を楽にしてくれたと言えるだろう。しかし、まさにこれこそがデジタル革命に違和感を覚える人々が不満を感じる理由なのである。彼らは、かつて存在した錬金術の精神をよみがえらせる必要性を感じているのだ。


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横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)

 横田大輔(1983年埼玉県生まれ)は、2003年に日本写真芸術専門学校を卒業後、国際的に名前が知られるようになってからというもの、今日の日本で最も有望な若手写真家と言っても過言ではない。彼の同世代の写真家たちは、成功したいと願い、先人がすでに確立させたスタイルを模倣しようとすることが多いが、彼はそのような落とし穴にはまることはなかった。彼の芸術的探求は、確固たる写真理論の根幹と写真というメディアの限界を徹底的に探るという強い意志に基づいている。2010年に自費出版したデビュー作「Water Side」からこれまでの作品で、横田はまさに写真の本質そのものを問いにしてきた。2014年にベルリンのKominek Books、と東京のNewfaveで共同出版された、最新作品「Toransupearento」は彼が使う独特な手法の重要な側面がはっきりと描かれている。

横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)

 「Toransupearento」は、サイズやページという意味ではなく、全く他の意味で規範から外れている。写真は例外なく全て透明フィルムシートに印刷されており、いくつか白黒もあるが、ほとんどは単一もしくは複数の色あいをしている(おそらくカラープリントの感光乳剤と酸等の化学反応を故意に引き起こして作られているのであろう)。このような透明フィルムシートの写真2〜3枚を重ねて一組とされ、白い紙で区切られている。これらの写真がネガを拡大させたものやスライドフィルムに似ているのは、きっと偶然ではない。メタルのリングで全てのシートとページが束ねられており、それによってその物質的な質が強調されている。青いビニールのジップバッグはお決まりの外箱として機能し、全体の印象を完成させる。透明な素材を選んだことで写真が重なり合って1つのイメージとなり、幻想的な雰囲気をかもし出している。例えば「若い女性の背中」と「暗い地下道の建物」といった「生物」と「無生物」が、まるで溶け合って一つになっているように見える。かつてマックス・エルンストは、ロートレアモン伯爵の「マルドロールの歌」(1868年)の一句を引き合いに出し、2つの全く異なる無関係の現実を1つのキャンバス上で組み合わせてシュルレアリスムの理念を示したが、横田はこの理念に新たな解釈を加えていると言えるのではないだろうか。横田の使う手法は、写真を撮り、再度その写真を撮って、最終的に生じたイメージと元のイメージを重ね合わせて、劇的に様変わりした写真イメージを得るというものであるが、「Toransupearento」のストラクチャーはこの手法そのものの特徴を示している。

横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)

 今年初めに横田と個人的に話をする機会があった。その中で、彼の行う一連の作業が相当手の込んだもので、そして時間がかかることが明らかになった。彼の説明によると、最初の写真は通常小さなデジタルコンパクトカメラで撮影し、たくさん撮った写真の中から写真を選び、普通のインクジェットプリンターで印刷するという。次に中判のアナログカメラを使ってインクジェットプリントの写真を再度撮影する。その後、沸騰させたお湯でネガを現像して、乳剤を溶かす。ネガフィルムに付着したほこりや引っかき傷は一切気にしない。むしろ、アナログの工程の一部として活用している。銀の腐食と結晶化作用によって、ネガの表面は不透明になり、従来の暗室での写真現像ができなくなる。そこで彼は、ネガをスキャンしてデジタル化させる。Photoshopで、デジタル化した最終的な画像を、その被写体であった元の画像の上にのせる。この一連の作業を時には10回以上繰り返すこともある、と横田は言う。大変興味深いことに、作業は全て東京にある彼の自宅アパートで行われるのだ。これまで出版された作品の中でも、「Toransupearento」を見ると、撮影が繰り返し行われる彼の手法を最も理解しやすい。先に説明したとおり、この写真集は透明フィルムシートの写真2〜3枚が一組となっているのだが、その重なり合った各シートを1枚めくる度、重なっていたイメージが1枚減っていく。それは、まるで最終的なイメージを得るために彼がいつも踏む手順を1つずつ戻すような感覚なのだ。彼が通常行う作業は、写真集で示されている写真の順番とは逆方向に行われている。さらに、作品を見る者はページをめくることで重なり合うイメージを元の単一のイメージに戻すことができるだけでなく、透明フィルムによって各写真の裏側も見ることが可能なのだ。

横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)

 横田の取り組み方は、スケートボードに没頭した十代の頃に養った真のDIY精神の上に成り立っている。当時、友人たちと共に自分たちでZineを刊行していた。その印刷に使っていたのが、地元のコンビニにあるコピー機だった。横田は作業の中で印刷の質がコピー機によって異なることに気付いた。現在、好評である「Backyard」(2011年に自費出版)の制作時には、写真の質を粗くしようと同じコピー機で繰り返し印刷した。そのため、コピー機のインクが何度も切れてしまったという。1969年8月に出版された同人誌プロヴォーク第三号の掲載に向け、今から遡ること42年前にプロヴォークメンバーも同じようにコピー機を使って印刷された写真の質を徹底的に下げようと試みた。だが、横田を直接的にプロヴォークと関連づけるのは間違いだ。それには実質的かつ方法論的な違い、また歴史的、政治的な違いなど様々あるが、それを今回説明すると長くなるので控えておく。しかしながら、写真とは何なのか、結局のところ写真で何ができるのかを問うという点では、横田はプロヴォークと類似した意見や問いを持っていると言える。

横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)

 横田大輔は、何かを記録するための道具としての写真ではなく、写真というメディアそのものに夢中になっている。彼はその構造的かつ時間的な特徴、可能性、そして限界を試しているのだ。そうすることで、視覚的に刺激のある写真を生み出し、見る人が写真の本質や条件を再考するよう促している。デジタルとアナログの利点と欠点の両方を利用して、独自のイメージを創り出しているからこそ、横田の取り組みは真に現代的だと言える。横田との会話を通してはっきりとわかったことは、技術が目まぐるしく発達しているにもかかわらず、彼にとってアナログの伝統は決して時代遅れになることはないということである。結局のところ、錬金術の精神がなくなることはないのだ。

横田大輔 「TORANSUPEARENTO」(2014年)
Yokota Daisuke: "TORANSUPEARENTO" (2014)



More than 170 years ago, the daguerreotype was publicly announced as the first truly successful photographic method. However, strictly speaking, the natural conditions on which the process is based on - e.g. the light sensitivity of silver salts - are disproportionately older. With this in mind, it becomes clear why speaking of invention, when referring to the basic photographic principles, is inappropriate. Unlike the central perspective, the principle of natural discoloration was not designed, but discovered and subsequently cultivated. In other words: analog photography's natural requirements did not only exist prior to their discovery, but will forever be located in a domain outside of human culture. Simply put, they are and will always be natural phenomena. This fact could be one of the reasons why photographs have appealed to their viewers in such a unique and peculiar way. We know very well from Nadar (1820-1910) that Honoré de Balzac (1799-1850) distrusted photography because he believed that with every exposure a thin layer of his body would be magically transported onto the silver-coated copper plate: hence, be forever lost. Simply learning about the photographic process in greater detail did not diminish the writer's skepticism. Only a single image of him would ever be taken. In a sense, Balzac was right to be suspicious, since the chemical reaction that creates the image has always been invisible to the human eye. Analog photography indeed possesses enigmatic qualities.

Today, most everyday (and evermore artistic) photographs are taken, published and consumed with the help of digital devices such as cell phones, tablets or DSRL cameras. Thanks to this new technology, everybody - at least in theory - has not only the opportunity to view photographs, but also to take them whenever desired. Yet, as with all technological advancement, some see this development positively, others do not. Those who doubt the digital descendant often feel a lack of tactility and depth. This arguably relates to the fact that the image is no longer being composed of the familiar scattered grain on a negative film or paper, but as rigid digital information in the form of a grid of pixels. No more darkroom to work in, no more chemicals to develop an exposed negative or photo paper, no more containers to preserve the foul-smelling chemicals - digital photography, one could conclude, really made it comfortable for us. But again, this is exactly why those who are at odds with the digital revolution are unsatisfied - they feel the need to revive the old alchemist spirit.

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Yokota Daisuke: Toransupearento (2014).


Yokota Daisuke (b. 1983 in Saitama Prefecture), who graduated from Tokyo's Nippon Photography Institute in 2003 and has since made a name for himself internationally, is arguably the most promising of the younger photographers at work in Japan today. Unlike many of his contemporaries, he does not fall into the trap of trying to emulate his already established predecessors' styles in hopes for success. Instead, his artistic pursuit is based on a solid photo-theoretical foundation and strong will to scrutinize the limits of the photographic medium. Up until now, in all of his published books since the debut of his self-published Water Side in 2010, Yokota has questioned the very nature of photography itself. His more recent 2014 publication Toransupearento - published in collaboration with Kominek Books, Berlin and Newfave, Tokyo - vividly illustrates key aspects that make up his unique working method.

Yokota Daisuke: Toransupearento (2014).

Toransupearento is truly an exception to the norm, not in terms of its size or number of pages, but pretty much in any other way. The photographs - some black-and-white but most of them toned in either a single dominant hue or varying colors (most likely produced via a deliberately induced chemical reaction of the color prints emulsion with acid etc.) - are all without exception printed on transparency film, stacked on top of each other in sets of two or three film sheets and separated by an underlying white piece of paper. Their close resemblance to oversized negatives or slide film is surely no coincidence. A metal ring binding that pierces through every sheet and page holds the bundle together and thereby highlights their physical qualities. A blue vinyl zip bag replaces the more conventional slipcase and rounds out the overall impression. Thanks to the choice of transparent material the overlapping photographs create dream-like composite images in which disparate subject matter - even inanimate objects and animate beings such as the back of a young woman and the architecture of a dark underpass - seemingly melt together and become one. It could be said that Yokota puts a new spin on Max Ernst's Surrealist credo which derived from a line in Lautréamont's Les Chants de Maldoror (1868) and suggested combining two completely unrelated realities (usually of no particular artistic importance) on the same canvas. But Toransupearento's structure also points to the very characteristic features of Yokota's working method: that is photographing, rephotographing and ultimately superimposing the resulting images with the original ones in order to achieve dramatically altered photographic imagery.


Yokota Daisuke: Toransupearento (2014).


While talking to Yokota personally earlier this year, it became obvious how tricky and time consuming his working process really is. The initial photograph, he explained, is usually taken with a small digital compact camera. Out of the many images a selection is made and a print then produced by using a regular inkjet printer. Then, using a medium format analog camera, he rephotographs the inkjet print and develops the negative in boiling water to dissolve the emulsion - dust on or scratches to the negative film are of no concern to Yokota for that matter but instead embraced as part of the analog process. Due to the corrosion and crystallization of the silver, the negative's surface becomes opaque and cannot be used for traditional darkroom printing. Instead, he uses a scanner to digitalize it. Via Photoshop the digital image is in the end laid on top of the original photograph from which it was taken. This entire process, Yokota explained, is sometimes repeated up to ten times. Interestingly enough, all this is done exclusively at his apartment in Tokyo. Of all of the publications, Toransupearento makes Yokota's method of working in layers most easily comprehensible. By turning over the printed sheets, each initial composite image (made up of a set of two or three layers of transparency film) is gradually reduced to a single photograph as if undoing the necessary steps in order to create one of Yokota’s final photographs. It all happens in reverse direction. In doing so, the viewer is not only granted the opportunity to revoke the process of superimposing but also gets to actually look behind each photograph thanks to the transparency film.

Yokota Daisuke: Toransupearento (2014).


Yokota's approach is very much hands-on - he possesses a true do-it-yourself mentality that apparently developed during his teenage years as a skateboarder. At that time he and his friends would create small editions of self-produced zines that were printed using the copy machines in their local convenience store (an integral part of every Japanese city and the place to go when in need for drinks, food, magazines, ATM, or most other useful daily consumer goods or services). As Yokota found out, every machine had its own particular flaws with regard to the printing quality. For the production of his now much sought-after Backyard (self-published in 2011), he once again used the same copy machines to roughen his photographs and in doing so apparently emptied the ink cartridge more than once. Although, 42 years earlier the members of Provoke likewise utilized a copy machine to drastically lower their prints' quality before publishing them in the third issue of the coterie magazine in August 1969, it would be false to peg Yokota as directly related that group. Pointing out the various practical and methodological disparities - not even taking into account the historical and political ones - would go beyond the scope of this text. Rather, it is safe to say that he shares similar ideas, notions and especially doubts about what photography is and ultimately can do.

Yokota Daisuke: Toransupearento (2014).


Yokota Daisuke is bent on working with the photographic medium itself rather than using it as a documentary tool. He is testing the medium's structural and temporal characteristics, possibilities and limitations. In doing so, he catalyzes the formation of visually exciting photographs that challenge the viewers to rethink the nature and conditions of photography as well. What makes Yokota's approach truly contemporary is the embrace of both the digital and analog worlds' advantages and disadvantages in order to create his imagery. But in spite of the rapid technological advancement, it became clear while talking to Yokota that the analog tradition will never become obsolete for him. After all, an alchemist spirit was never easy to tame.

Yokota Daisuke: Toransupearento (2014).