藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年)
自分の写真作品を本の形で世に出そうと決意することは、市場志向であってはならない。写真集がようやく多くの人に美術作品として認められるようになってきた今日でも、そうあってはならないのである。むしろ、本というメディア特有の様々な特徴を真剣に考慮して行う意識的な美術活動の成果であるべきだ。2014年3月に蒼穹舎より出版された藤原敦(1963年滋賀県生まれ)の2冊目の写真集「蝶の見た夢」は、一連の作品が本という形で大いに意味を成す素晴らしい例である。ここでは作家が、写真と本という2つのメディアが持つ特有の質を組み合わせることに懸命に取り組んでいるからだ。作品は母親の不運な人生を美しく私的に(そして時折感傷的に)描写しているが、それを見守る複数の視点が作品の中で度々重なり合うかのように表現されることで、生と死の狭間にある夢のような世界が描かれている。
表紙には海辺に立つ女性と子どもの写真が印刷されている。その写真は青写真のような様で、他の写真と重なり合っている。それによって本を開く前の段階から、現実で重複する視点という発想がうかがえる。この表紙の写真でいくつの写真が重ねられているのかははっきりとわからない。これは藤原が、物事をもっとよく見ることの大切さを私たちに伝えようとしているのかもしれない。実際に、加藤正樹は写真集に寄せたテキストで、詳細に注意を注ぐことは本当に価値がある、と重要なヒントを書いている。それを怠ると、知的に構成された写真の順番、写真の中に重ねられた写真、ちょうどいい量の後書きなどを見落とすことになる。つまり、63枚のモノクロ写真は、単に時間軸に沿った古典的な物語として結びつけられているのではなく、時間の循環が強調されているのである。ある主題が過去、現在、そして未来を通して繰り返され、変化しながら描かれる。それは音楽のフーガに似ている。ところが、「蝶の見た夢」では、そうした時間の観念だけでなく、生の世界と死後の世界という別々の領域が不思議に混ざり合う。
蝶は古から「魂の象徴」だったと加藤は説明しているが、若い母親が日本列島の最南端・宮古島を訪れると、まるで亡くなった父親が蝶の姿になって、かつて彼も存在していた現世を見守っているようなのだ。写真家自身は自分の作品で自ら姿を現すことはないため、作品を通して蝶と藤原の視点が重なり合っているように思わせるという面白い設定となっている。
時折、フレームを傾け、ショット・リバースショットといった手法が使われることで、写真を撮る側がまるで宙に浮いているような感覚(さらには遍在しているような感覚)を呼び起こし、この幻想はさらに説得力を増す。あたかも蝶がひらひら飛びながら見ているかのように、編集されている。このような手法が一番効果的に表れているのは、海に浮かぶ船の上にいる母と娘2つの写真が並べられた見開きページだ。同じ主題の写真を2つの異なるアングルからほぼ同時に眺めるという同時性の観念は、人間というよりも素早く動く蝶を連想させる。その結果、私たちは写真家でもない、不思議な第三者の目を通してその風景を見ている感覚になる。
比較的に小さめの本(約21x17cm)は、藤原の撮る写真が与える私的な雰囲気によく合っている。気軽に手に取って、膝の上に置いてページをめくることができるのは、作品の複雑な内容に深く触れるためには理想的である。本の手に取りやすさは展覧会で展示された写真とは対照的に、見る者が手元の写真作品全体に対してすぐに反応しやすいため、重要な要素なのだ。展覧会では、大勢の人々が同時に写真家の作品を見ることができる構造である(見るという行為が、集団的な経験となる)一方、本のサイズではそれが禁じられている。本の内容を一緒に見ることができるのは、わずかな人数だ。この理由から、すでに言及されているとおり、本というのは本質的に私的なメディアなのだ。藤原敦の「蝶の見た夢」は間違いなくそれを裏付ける。
藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年) |
表紙には海辺に立つ女性と子どもの写真が印刷されている。その写真は青写真のような様で、他の写真と重なり合っている。それによって本を開く前の段階から、現実で重複する視点という発想がうかがえる。この表紙の写真でいくつの写真が重ねられているのかははっきりとわからない。これは藤原が、物事をもっとよく見ることの大切さを私たちに伝えようとしているのかもしれない。実際に、加藤正樹は写真集に寄せたテキストで、詳細に注意を注ぐことは本当に価値がある、と重要なヒントを書いている。それを怠ると、知的に構成された写真の順番、写真の中に重ねられた写真、ちょうどいい量の後書きなどを見落とすことになる。つまり、63枚のモノクロ写真は、単に時間軸に沿った古典的な物語として結びつけられているのではなく、時間の循環が強調されているのである。ある主題が過去、現在、そして未来を通して繰り返され、変化しながら描かれる。それは音楽のフーガに似ている。ところが、「蝶の見た夢」では、そうした時間の観念だけでなく、生の世界と死後の世界という別々の領域が不思議に混ざり合う。
藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年) |
当時、彼女は新宿のとあるBARでアルバイトをしていたが、本職は女流緊縛師であった。聞くと彼女の父親はプロの昆虫ハンターで、[中略]数年前に自ら命を絶っていた。そして父親の死とほぼ同じ時期に、夫の浮気や借金に苦しんだ挙句離婚した彼女は精神的に不安定になり、愛する子供二人を母方の故郷宮古島に預けたのだった。進級の春や運動会の秋など、年に数回は宮古島へ子供たちに会いに行った。[前略]彼女が慕った父親が探し求めていた蝶は、ヒラヒラと舞い、現世と幻世を行き来していたのだった。(「蝶の見た夢」より)
藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年) |
蝶は古から「魂の象徴」だったと加藤は説明しているが、若い母親が日本列島の最南端・宮古島を訪れると、まるで亡くなった父親が蝶の姿になって、かつて彼も存在していた現世を見守っているようなのだ。写真家自身は自分の作品で自ら姿を現すことはないため、作品を通して蝶と藤原の視点が重なり合っているように思わせるという面白い設定となっている。
藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年) |
時折、フレームを傾け、ショット・リバースショットといった手法が使われることで、写真を撮る側がまるで宙に浮いているような感覚(さらには遍在しているような感覚)を呼び起こし、この幻想はさらに説得力を増す。あたかも蝶がひらひら飛びながら見ているかのように、編集されている。このような手法が一番効果的に表れているのは、海に浮かぶ船の上にいる母と娘2つの写真が並べられた見開きページだ。同じ主題の写真を2つの異なるアングルからほぼ同時に眺めるという同時性の観念は、人間というよりも素早く動く蝶を連想させる。その結果、私たちは写真家でもない、不思議な第三者の目を通してその風景を見ている感覚になる。
藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年) |
比較的に小さめの本(約21x17cm)は、藤原の撮る写真が与える私的な雰囲気によく合っている。気軽に手に取って、膝の上に置いてページをめくることができるのは、作品の複雑な内容に深く触れるためには理想的である。本の手に取りやすさは展覧会で展示された写真とは対照的に、見る者が手元の写真作品全体に対してすぐに反応しやすいため、重要な要素なのだ。展覧会では、大勢の人々が同時に写真家の作品を見ることができる構造である(見るという行為が、集団的な経験となる)一方、本のサイズではそれが禁じられている。本の内容を一緒に見ることができるのは、わずかな人数だ。この理由から、すでに言及されているとおり、本というのは本質的に私的なメディアなのだ。藤原敦の「蝶の見た夢」は間違いなくそれを裏付ける。
藤原敦:「蝶の見た夢」(2014年) |
Fujiwara Atsushi: "Butterfly had a dream" (2014)
The decision to distribute one's own photographic work in the form of a book should not be a market-oriented one. Not even today, when the photobook's status as a serious work of art has finally come to be acknowledged by a larger audience. Instead, it should be the result of a conscious artistic practice that seriously takes into consideration the various unique characteristics of this particular medium. Fujiwara Atsushi's (b. 1963, Shiga Prefecture, Japan) second photobook Butterfly had a dream, published by Sokyusha in March of 2014, is a very fine example of a body of work that makes great sense as a book. That is because the artist clearly undertook considerable efforts to incorporate both mediums' distinct qualities in order to create a beautifully intimate (yet also unsettling) portrayal of a mother's ill-fated life, which is presented through a recurring motif of interlocking gazes amidst a dream-like world that exists somewhere in-between life and death.Fujiwara Atsushi: Butterfly had a dream (2014). |
Even before opening the book, the superimposed cyanotype-like photographs of a woman and children at a beach introduce the idea of overlapping perspectives on reality. The number of images used to create the front cover is difficult to distinguish for sure and consequently it could be argued that Fujiwara informs us about the importance of having a closer look at things. And indeed, as we learn from the important hints provided in the entailed text by Kato Masaki, paying attention to details is truly worth the effort. Those who neglect to do so will ultimately overlook the book's intelligent sequence, picture-in-picture imagery and economical yet efficient use of text. Altogether, rather than simply linking the 63 black-and-white photographs together as a classical chronological narrative, a circular time structure is emphasized that behaves similar to that of a musical fugue which likewise features repetition and alteration in order to reference about past, present and future parts of the piece. However, in the case of Butterfly had a dream, it seems as if not only time but also the otherwise separated spheres of life and afterlife mysteriously begin to intermingle.
Fujiwara Atsushi: Butterfly had a dream (2014). |
"Back then she worked part time at a certain bar in Shinjuku, but her real profession was that of female Japanese bondage master. Her father had been a professional insect collector, […] but took his life a number of years ago. Then, after suffering an unfaithful husband and heavy debt, she grew mentally unstable around the time of her father's death. So she sent away her two beloved children, to live in the hometown of her mother's family on Miyakojima Island. A few times a year, she would visit them on Miyakojima - in springtime, when the children moved up a grade in school, and in fall for their yearly school sporting event. […] The butterfly sought after by her father, whom she loved and respected dearly, flitted between the earthly realm and fantasy." (Taken from Butterfly had a dream.)
Fujiwara Atsushi: Butterfly had a dream (2014). |
The illusion is even more convincing because of Fujiwara's use of a tilted-frame and shot reverse shots from time to time as a means of evoking a feeling of levitation (and even omnipresence) on his part. The suggested movement between pictures taken and edited in that specific way seems consistent with that of a butterfly's flight. Arguably the most successful implementation of this method can be seen on a double page showing two juxtaposed photographs of the mother and daughter on a ship at sea. Looking at the same subject matter, seen from two different angles presumably almost at the same time, a notion of simultaneity originates, which rather corresponds with the quick movement of a butterfly than that of a human being. Consequently, we seem to observe the scenery through the eyes of a third enigmatic party other than the photographer.
Fujiwara Atsushi: Butterfly had a dream (2014). |
The relatively small format of the book (ca. 21x17 cm) suits the intimate nature of Fujiwara's photographs well. The ability to hold it comfortably in our hands or place it on our lap while turning the pages back and forth provides an ideal setting from which to acquaint oneself with this complex work. The book's tactility, in contrast to a display of prints in an exhibition, is an important factor that heightens the chances for the viewer to experience a more immediate reaction to the photographic body of work at hand. While an exhibition's structure tends to provide even larger groups of people access to the artist's work simultaneously (the act of looking then becomes a collective experience), a book's size on the other hand normally prohibits this. Its content is accessible to no more than a few individuals at once. For this reason, as it has been said before, it is an inherently intimate medium. Fujiwara Atsushi's photobook Butterfly had a dream is undoubtedly proof of that.
Fujiwara Atsushi: Butterfly had a dream (2014). |